「体にいい」と「地球にいい」がぶつかるとき — アボカド・アーモンドミルク・サーモンの話

朝食のテーブルで起きていること

トーストにアボカドを潰して乗せ、粗塩とオリーブオイルをひとまわし。コーヒーには牛乳ではなくアーモンドミルクを注ぐ。昼はサーモンのサラダにしよう。

健康に気を配っている人の、ごく標準的な一日の食卓である。脂質の質を意識し、動物性を控えめにし、たんぱく質を確保する。栄養学的に見て、この選択に大きな間違いはない。少なくとも、菓子パンとエナジードリンクで済ませるよりはるかに賢明だ。

だが、この三つの食材には、栄養表示には決して書かれない共通点がある。いずれも、産地の環境に少なからぬ負荷をかけながら、世界的な需要の急増を支えてきた食材だということだ。

先に断っておきたい。この記事は「アボカドを食べるな」と言うためのものではない。そういう話にしてしまうと、いちばん大事な論点が抜け落ちる。

本当に考えたいのは、もっと居心地の悪い問いのほうだ。自分の体にとっての正解と、地球にとっての正解は、しばしば一致しない。

そのとき、わたしたちは何を基準に選べばいいのか。

アボカド — 「森のバター」が森を減らすとき

アボカドが世界的なブームになったのは、そう古い話ではない。良質な脂質、豊富な食物繊維、鮮やかな見た目。健康志向とSNSの両方に愛される条件を、これほど完璧に満たした果実も珍しい。需要は右肩上がりで伸び続けた。

問題は、この果実がかなりの水を必要とすることだ。

アボカドの木は、実をつけるまでに長い時間をかけ、その間ずっと灌漑を必要とする。一個の実を育てるのに要する水の量は、一般的な野菜と比べてかなり多い。しかも主要産地の多くは、もともと水が潤沢とは言えない乾燥気味の地域にある。

メキシコの一部の産地では、アボカド栽培の拡大にともなう地下水の汲み上げが、地域の水供給に影響を与えていると長く指摘されてきた。井戸が浅くなる。川の流量が落ちる。農地に回る水が減る。そして水は、その土地に住む人々が生活に使うものでもある。

もうひとつ深刻なのが、土地の転換である。アボカドが高く売れるとわかれば、農家がそれまでの作物をやめて植え替えるのは経済的に自然な判断だ。ときにその対象が、既存の森林に及ぶ。森を切り開いてアボカド園にする。生態系の観点から見れば、多様な樹種の森が単一作物の畑に置き換わることの損失は小さくない。

チリでも似た構図が報告されてきた。乾燥地帯での大規模栽培と水利権の集中が、周辺住民の水アクセスと緊張関係を生む。

ここで重要なのは、誰も悪意で動いていないという点だ。農家は生活のために収益性の高い作物を選び、輸出業者は需要に応え、消費者は健康のために買っている。それぞれの合理的な判断が積み重なった結果として、産地に負荷が集中する。悪人のいない問題は、悪人のいる問題より解決が難しい。

アーモンドミルク — 「牛乳より環境にいい」の落とし穴

植物性ミルクへの切り替えは、環境配慮の入り口として広く勧められてきた。乳牛の飼育には大量の飼料と土地が必要で、温室効果ガスの排出量も大きい。牛乳をアーモンドミルクに替えれば、その負荷を減らせる。理屈は通っている。

そして実際、温室効果ガスと土地利用という指標だけを見れば、アーモンドミルクは牛乳より優位に立つことが多い。この部分は、覆されていない。

問題は別の指標にある。水だ。

アーモンドの木もまた、水を大量に必要とする。そして世界のアーモンド生産は、カリフォルニアに極端に集中している。ここが厄介なところで、カリフォルニアは長年にわたって深刻な干ばつに繰り返し見舞われてきた地域である。水が足りない土地で、水を大量に使う作物を、世界中に向けて大規模に栽培している。この構造そのものが脆い。

さらに、アーモンドの受粉は商業養蜂に大きく依存している。開花期に合わせて全米から膨大な数のミツバチの巣箱が運び込まれ、一斉に受粉作業を行う。この大規模な移動と密集が、蜂の健康にどう影響するかについては議論が続いている。

つまりアーモンドミルクは、温室効果ガスという物差しでは優等生でありながら、水と生物多様性という物差しでは別の評価になる。

これは食の環境負荷を考えるうえで、繰り返し現れる構造だ。環境負荷は単一の数値ではない。温室効果ガス、水使用量、土地利用、生物多様性への影響、汚染。複数の軸があり、ある軸で優れたものが別の軸で劣ることは珍しくない。「環境にいい」という言葉が、どの軸の話をしているのか。それを確かめずに使われる場面が、あまりに多い。

ちなみにオーツミルクは、水使用量の面ではアーモンドミルクより有利とされることが多い。ならばオーツに替えればいいのか。おそらく、その発想自体が罠なのだが、それは最後に述べる。

サーモン — 「天然が正しい」とはかぎらない

サーモンは、良質なたんぱく質とオメガ3脂肪酸の供給源として、健康志向の食卓に欠かせない存在になった。日本での消費も、この二十年で大きく伸びている。

サーモンをめぐる議論は、アボカドやアーモンドとは少し性格が違う。ここでの対立軸は「天然か、養殖か」だ。

直感的には、天然のほうが自然で良さそうに思える。しかし水産資源の観点では、天然魚を獲り続けることは資源量の減少に直結しうる。回復のスピードを超えて獲れば、その魚は減る。この原則に例外はない。

では養殖なら安心かというと、こちらにも固有の問題がある。密集した養殖場では寄生虫や疾病が発生しやすく、その対策が周辺の海洋環境に影響を及ぼすことがある。排泄物や残餌による海底への負荷もある。

そして最も本質的なのが、餌の問題だ。サーモンは肉食性の魚である。養殖するには、魚粉や魚油、つまり別の魚を原料とした飼料が要る。健康にいい魚を育てるために、別の海の魚を獲ってきて食べさせている。この循環をどう評価するかは、単純ではない。

近年は、植物性原料や昆虫、微細藻類を使った代替飼料の開発が進んでおり、この構造を変えようとする動きは確かにある。また、養殖の管理水準は事業者や地域によって大きな差があり、認証制度を通じて水準を担保しようとする仕組みも整備されてきた。

つまりサーモンについては、「天然か養殖か」という問いの立て方自体があまり有効ではない。問うべきは、どこで、どのように獲られ、育てられたかであり、それは魚種ではなく個別の漁業・養殖場の問題なのだ。

「良いことをしているつもりだった」という感覚について

ここまで読んで、少し気分が沈んだ方がいるかもしれない。健康のために選んでいたものが、実は別の場所に負荷をかけていた。良かれと思ってやっていたことが、そうでもなかった。

その感覚は、正直に受け止めていいと思う。ただし、そこから先の反応には二つの分かれ道がある。

ひとつは、罪悪感を抱え込む道だ。何を食べても誰かに迷惑をかけている気がして、食卓のたびに気が重くなる。この状態は長続きしないし、たいてい最後は「考えるのをやめる」に着地する。反動として、以前より無頓着になることさえある。

もうひとつは、「正解が存在する」という前提のほうを疑う道だ。わたしはこちらを勧めたい。

考えてみれば、正解を探す態度には構造的な欠陥がある。ある食材が「正解」だと広く信じられた瞬間、その食材に需要が殺到する。需要が殺到すれば産地に負荷が集中し、無理な増産が始まり、やがて新たな問題が表面化する。そして人々は失望し、次の「正解」を探しに行く。

アボカドもアーモンドミルクも、この経路をたどってきた。何かが悪かったというより、一つの答えに人々が集中すること自体が、問題を生む。

そういう構造なのだ。

単一の正解を探すより、偏らないこと

ならば、どうするか。

提案はきわめて素朴である。偏らないこと。これに尽きる。

アボカドを食べる週があってもいい。同時に、毎朝必ずアボカドでなくてもいい。アーモンドミルクを飲む日もあれば、オーツミルクの日も、牛乳の日もある。魚を食べるなら、サーモンだけでなく、季節の近海のものにも手を伸ばす。

分散は、いくつもの意味で理にかなっている。栄養面では、特定の食材への依存を避けることで栄養素の偏りが減る。環境面では、需要が複数の産地・品目に散ることで、一か所への負荷集中が和らぐ。そして生活面では、これがいちばん大きいのだが、続けやすい。厳格なルールは破られるが、ゆるい傾向は長持ちする。

もうひとつ付け加えるなら、旬と産地に少しだけ関心を持つことだ。すべての食材の背景を調べる必要はない。ただ、「これはどこから来たのだろう」と年に何度か考えるだけで、買い方は静かに変わっていく。

そして、忘れてはならないことがある。食に関する環境負荷の議論で、家庭でできる最も効果の大きい行動のひとつは、食材の選択ではなく 食べ物を捨てないこと だと繰り返し指摘されている。どれほど慎重に選んだ食材でも、冷蔵庫の奥で腐らせてしまえば、負荷だけが残る。選ぶことばかりに意識が向いて、使い切ることが疎かになっては本末転倒だろう。

わたしたちが考えていること

日々口にするものを届ける仕事をしている以上、この話は他人事ではない。

正直に書けば、わたしたちも完全な答えを持っていない。ある食材について調べれば調べるほど、評価は産地によって、事業者によって、年によって変わる。去年は問題なかった産地が、今年は干ばつに見舞われているということが普通に起きる。「この食材は環境にいい」と言い切れる場面は、実際にはほとんどない。

だから、扱う商品について断定的な環境訴求をすることには、慎重でありたいと思っている。書けるのは、どこの誰が、どういう考え方で作っているのか、そしてそれをどこまで確認できているのか、という事実の範囲だけだ。

読者の方にお願いしたいのも、同じ姿勢である。誰か一人の「これが正解です」を信じ込まないこと。この記事も含めて。

今夜の食卓に、先週と違うものが一つあれば、それで十分だと思う。

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