捨てるとき、私たちは何を捨てているのか ―「長く使う」という選択について

ごみ袋の口を結ぶ、あの一瞬のこと

ごみ袋の口を結ぶとき、ふと手が止まることはありませんか。

私たちは、あります。

まだ使えたのではないか。

もう少し何とかできたのではないか。

そう思いながら、それでも結んでしまう。そして翌朝には、もう思い出さない。

この繰り返しを、私たちは毎週のようにしています。

ごみは、出した瞬間に視界から消えます。回収されて、どこかへ運ばれて、そのあとどうなるのかを私たちが見ることはほとんどありません。だから忘れられます。忘れられるようにできている、と言ったほうが正確かもしれません。

その仕組み自体は、とてもありがたいものです。衛生的で、効率的で、私たちの暮らしを支えてくれています。ただ、あまりにもよくできているので、「捨てた先」を想像する機会が、日常からすっぽり抜け落ちてしまいました。

今日の記事では、その抜け落ちた部分について、少しだけ一緒に考えてみたいと思っています。

先にお伝えしておくと、これは「もっと我慢しましょう」という話ではありません。私たち自身、たくさんのものを捨てながら事業をしていますし、家に帰れば同じようにごみ袋の口を結んでいます。人に向かって指を差せる立場ではないのです。

そのうえで、捨てるという行為をもう少しだけ意識してみると、見え方が変わってくる部分があるように思います。

捨てられているのは、ものだけではありません

ひとつのものが手元に届くまでに、どれだけの工程があるかを想像したことはあるでしょうか。

素材が採られ、運ばれ、加工され、また運ばれ、形になり、検品され、包まれ、倉庫に入り、注文を受けて出荷され、ようやく手元に届く。ひとつひとつの段階で、人が動き、機械が動き、エネルギーが使われています。

つまり、ものを捨てるとき、私たちが捨てているのは目の前の物体だけではありません。そこに積み上がった工程のすべてを、まとめて手放していることになります。

この見方をするようになってから、私たちの中で「もったいない」の意味が少し変わりました。

以前は、買った金額に対して「もったいない」と感じていました。高かったのに使わなかった、という感覚です。いまは、そこに至るまでに使われた時間やエネルギーに対して「もったいない」と感じるようになりました。

同じ言葉なのですが、後者のほうが、少し重いのです。

捨てられる前に、何が起きているか

ものが捨てられる場面を思い返してみると、いくつかのパターンがあることに気づきます。

壊れて使えなくなったから、というのは、いちばん納得しやすい理由です。ただ、実際のところ、壊れて捨てられるものはそれほど多くないのではないでしょうか。

もっと多いのは、まだ使えるのに捨てられるケースです。

飽きてしまった。似たものを新しく買った。しまい込んでいるうちに存在を忘れていた。少し汚れたけれど直す方法が分からない。引っ越しのときに、持っていくほどでもないと判断した。

どれも、責められるような理由ではありません。暮らしは変わりますし、気持ちも変わります。十年前に好きだったものを今も同じように好きでいなければならない、ということはありません。

ただ、ここで少し立ち止まってみたいのは、「なぜそれを手に入れたのか」のほうです。

飽きてしまったものには、そもそも最初から、あまり強い理由がなかったのかもしれません。安かったから。セールだったから。とりあえず必要かもしれないと思ったから。その場では十分な理由に思えたけれど、半年後の自分には引き継がれなかった理由。

私たちは、捨てる場面ばかりを問題として見てきました。けれど本当に効くのは、その手前、選ぶ場面のほうなのではないか。最近はそう考えるようになっています。

「長く使えるもの」とは、丈夫なもののことではありません

長く使うという話をすると、たいてい「丈夫なものを選びましょう」という結論になります。それはもちろん間違いではありません。すぐ壊れるものを長く使うことはできません。

ただ、丈夫であることと、長く使われることは、実はイコールではありません。

十年壊れない道具でも、二年目に飽きてしまえば、そこで使われなくなります。物理的にはまだ生きているのに、気持ちのうえで終わってしまう。そういうものが、家の奥のほうにいくつも眠っているのではないでしょうか。私たちの手元にもあります。

ですから「長く使えるもの」を考えるときには、壊れにくさと同じくらい、飽きにくさが大事になってきます。

では、何が飽きにくさをつくるのか。私たちなりに考えてみると、いくつかの要素があるように思います。

ひとつは、主張が強すぎないことです。ひと目で心を掴むものは、同じ強さで飽きが来ることがあります。逆に、最初は地味だと思ったものが、使っているうちに手に馴染んでいく、ということがあります。

もうひとつは、使うたびに少しだけ良くなっていくことです。新品のときがいちばんきれいで、あとは劣化していくだけのものと、使い込むほど風合いが出てくるものとでは、時間との関係がまったく違います。後者は、経年が味方になってくれます。

そしてもうひとつが、手入れができることです。汚れたら洗える、傷んだら直せる。そういう余地があるものは、不調があっても手放さずに済みます。逆に、分解できず、直しようがなく、少し壊れたらもう終わり、というつくりのものは、どれだけ気に入っていても、ある日突然お別れになります。

このあたりは、店頭や商品ページの情報だけでは判断しづらい部分でもあります。だから難しいのですが、少なくとも「これは手入れできるつくりだろうか」と一度考えてみるだけでも、選び方は変わってくるように思います。

買わないことが正解、とは限りません

ここまで書くと、「要するに買うなということか」と受け取られるかもしれません。

そうではありません。

ものを買わないことが常に正解だとしたら、私たちのような事業は存在してはいけないことになります。それは違うと思っています。

私たちが問題だと感じているのは、買うこと自体ではなく、買ったものがすぐに役目を終えてしまう流れのほうです。

必要なものを、きちんと選んで、長く使う。その過程では、当然ものを買います。買ってもらわなければ、つくり手も残りません。良いものをつくる技術は、使われ続けることでしか維持されないのです。

だから私たちは、「買わない」を目指すのではなく、「手放される回数を減らす」を目指したいと考えています。

同じ一年のあいだに三つ買って三つ捨てるのか、ひとつ買って三年使うのか。使っている総量は同じように見えて、通り過ぎたものの数はまったく違います。

とはいえ、失敗はします

こういうことを書きながら、私たち自身、選び方を外すことがあります。

よく考えて買ったつもりだったのに、使わなかった。長く使えると思ったのに、暮らしのほうが変わってしまって合わなくなった。そういうことは、どうしても起こります。

このときに大事なのは、失敗を責めすぎないことだと思っています。

なぜなら、「無駄にしてはいけない」という気持ちが強すぎると、二つの困ったことが起きるからです。

ひとつは、合わなくなったものを、罪悪感から手元に置き続けてしまうことです。使わないまま何年もしまい込んでおくと、結局その間ずっと眠っているだけで、誰にとっても価値を生みません。もし誰かに譲れるなら、そのほうが、ものにとってはずっと良い時間になります。

もうひとつは、失敗を恐れるあまり、選ぶこと自体が苦しくなってしまうことです。買い物のたびに緊張して、正解を探して疲れてしまう。それでは続きません。

続かないことは、環境にとっても良い結果にはなりません。一年だけ完璧に頑張って、燃え尽きてやめてしまうより、ゆるくても十年続けるほうが、積み上がる量ははるかに大きいからです。

ですから、失敗したときは、次に活かす材料として受け取る。それで十分だと思っています。うまくいかなかった経験は、自分にとって何が合うのかを知るための、かなり正確な手がかりになります。

捨てるときにできる、小さなこと

それでも、手放す日は必ず来ます。そのときにできることも、少しだけ書いておきます。

まず、本当に自分にとって不要なのか、それとも「この暮らしに合わなくなった」だけなのかを、いちど区別してみることです。後者であれば、別の誰かのところでは、まだ十分に現役でいられます。譲る、売る、寄付する。手段はいくつもあります。

次に、捨てると決めたものについて、なぜ手放すことになったのかを一度だけ振り返ってみることです。使いにくかったのか、好みが変わったのか、そもそも必要ではなかったのか。ここを一度言葉にしておくと、次に選ぶときの精度が上がります。振り返らずに捨ててしまうと、同じ理由で、また同じように手放すことになります。

そして、分別のルールを一度確認してみることです。地域によって基準はかなり違いますし、変わることもあります。正しく分けられていないものは、せっかく資源になり得たとしても、その道から外れてしまいます。ここは調べれば分かる部分なので、確認する価値があります。

どれも小さなことです。世界を変えるような行動ではありません。ただ、小さいということは、続けられるということでもあります。

私たち自身が、いま向き合っていること

最後に、私たちの側の話も少しだけ書きます。

長く使うことについて書いている以上、私たち自身が、すぐにごみになるものを一緒に届けていては説得力がありません。

そのため、お届けの際の梱包については、見た目のために使っていた資材を見直し、できるだけ簡素な形に改めてきました。開けたときの華やかさは減りましたが、その数秒のために出るごみを減らすほうを選んでいます。また、置き換えられる部分から順に、再生紙や紙素材に切り替えを進めてきました。

ただ、まだ紙に置き換えられていない部分が残っています。守るという役割において、ほかの素材のほうが優れている場面が確かにあり、代わりになるものを見つけられていないのが正直なところです。ここは未解決のまま、いまも検討を続けています。

このあたりの詳しい状況については、別の記事にまとめてありますので、よろしければそちらもご覧ください。できていることよりも、できていないことのほうを多く書いた記事です。

結ぶ前の、ほんの数秒

冒頭の話に戻ります。

ごみ袋の口を結ぶ前の、あの一瞬。私たちは、あの数秒が案外大事なのではないかと思っています。

そこで手が止まるということは、まだ何かを感じているということです。感じたまま結んでしまう日があってもいいと思います。毎回立ち止まっていたら、暮らしが回りません。

ただ、月に一度でも、その一瞬を少しだけ延ばしてみる。これは本当に終わりなのか、別の行き先はないのか、なぜこうなったのか。そう考えてみる。

それだけで、次に何かを選ぶときの目が、ほんの少し変わってくるように思います。

私たちも、同じところで立ち止まりながら、考えている途中です。答えが出たわけではありません。それでも、考えることをやめないでいたいと思っています。

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